立ち止まってもいい。また、走り出せるなら

高学歴低コミュ力のワイがニートになって農業して介護してる話

高学歴ニート誕生秘話〜就活編〜

そもそも、ブラックな職場に就職して、ニートになったのは就活に失敗したからだ。
就活に失敗した理由
①大手企業と公務員しか受けない
②面接の評価を学歴・筆記試験で取り返す
③やりたいことが分からない

①大手企業と公務員しか受けない
要するに世間体を気にしていた(ニートになった今は世間体も糞もない)(笑)専門学校に行けば、美容師、調理師、保育士色んな選択肢がある。でも、大学に行けば会社員か公務員しか選択肢がない。大学進学が裏目に出てしまった。
②面接の評価を学歴・筆記試験で取り返そうとする
無理(笑)同じ企業を受けるのは同程度の学歴の人間で、筆記試験は低レベルな奴の足切りに使われるだけ。地頭の良さは高卒で就職して仕事をすれば差が出るが、大学に進学すれば高レベルな争いに巻き込まれるだけ。
③やりたいことが分からない
高校も大学も偏差値で選んだ。やりたいことを我慢してやるべきこと(勉強)を淡々としてきただけ。そもそも、会社に入ったらやりたいことなんかできないのに、面接でやりたいことを聞くのは非生産的。

以上、世間体気にしてたらどこにも就職できず、ブラックな職場に就職してニートになった話でした。

岩手で戦力外通告を受ける(*_*)

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農作業は、日の光を浴びて、体を鍛えられて、規則正しい生活ができて精神衛生上この上なくいいなと思います!

ただし、閉鎖的な田舎の農家の中にはクセの強い人がいて…
一番酷かったのが、岩手で緑の細長い曲がってる野菜を作ってるAK農園。
メンバーは、白シャツを着てるクソジジイと皺だらけのクソババアとバツイチ子持ちのDQN娘。
煙草の吸殻を畑の周りに捨てたり、音楽を大音量で流したり、食事の野菜が少ない。

我慢して文句も言ってなかったのに、クソババアに作業が遅い、もっと早くしろと嫌味を言われたので無理ですと答えると「役立たずはいても意味がない帰れ」と言われた。クソジジイにも「お前には農業無理。自分でやっても泣いて帰ってくる」(お前の元に舞い戻る気はさらさらない)と言われ、DQN娘にも「農家バカにしてんのか」と怒鳴られた。

そして、最寄駅まで1時間歩いて帰らされた。
衣食足りてない奴は礼節を知らないということを知った。

福島で農業に目覚める!

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仕事を辞めたときには、次のことは考えていませんでした。実家の居心地も良くは無かった(笑)ので、軽い気持ちでネットで農家のボランティアを探しました!
そして、福島の農家さんに行きました!20代の夫婦と小さい兄妹とバイトやお手伝いの人がいて楽しかったです。
初めての農作業はキツイこともありましたが、規則正しい生活をして、栄養満点の食事を食べて満身創痍の心と体は少しずつ回復しました。
(施設で働いてた頃は2時3時に寝て、施設の不味い飯食わされて不健康で非文化的な最低限度以下の生活を送ってました)
印象に残っているのは生きた鶏を捌いたことです。鶏の首にナタを振り下ろしたときのことは忘れられません。その後、鶏料理を頂いて心が動かされました。
苦しんで死んだ鶏の命をいただいた以上、自分も汗に塗れて、泥に塗れて、無様でも必死に生きたいと思いました。
農家さんからは、「石の一つでも持って帰れ」と言いうことを学びました。それは、畑から手ぶらで帰るのではなく、何かを得なければならないということだと思います。
福島での日々は充実していて、もっと多くの農家さんから農業だけではなく、色んなことを学びたいと思いました。そして、ボラバイトというサイトで住み込みの求人を探して旅に出ました!

高学歴ニート誕生\(^o^)/〜福祉の仕事辞めた〜

私は地元の進学校から某有名大学へと進学し、卒業後は福祉業界(児童分野)で働いていた。

しかし、3年も持たずに仕事を辞めた。
仕事を辞めた理由は主に3つある。
パワハラ・施設内暴力
長時間労働低賃金
③やりがい・将来性の欠如

パワハラ・施設内暴力
上司から「この仕事向いてない」「おる意味ない」「これまで生きてこれたのは勉強ができたから」と日々、指導の範囲を超えた人権侵害を受けた。
また、入所児らが問題行動を起こし、指導すると、「死ね」「ガイジ」(言ってる本人が障害児)と暴言を浴びせられ、殴る蹴るの暴行を加えられた。他の施設では児相に報告されるが、ここでは内部の指導で済まされていた。
長時間労働低賃金
以上の状況で、精神的に追い詰められ、さらに過酷な労働環境によって、肉体も限界まで追い詰められていた。
残業だけでも月100時間を超えていた。宿直の日は2時間程度仮眠して、6時に出勤し、24時まで働いていたにも関わらず罵倒されたこともあった。
③やりがい・将来性の欠如
以上のような犠牲を払ったとしても得られるものはごくわずかである。子どもから感謝されることは稀である。成果を上司から評価されることはなく、子どもの問題でさえも職員の責任を追求される。
このような過酷な環境で職員の入れ替わりも激しく、残る職員に負担が重くのしかかってくる。

同業者の中には、良い環境に恵まれて充実して仕事をされている方もいる。しかし、私の施設は劣悪を極めていたので、見切りをつけた。
※文中、違法行為と思われる表現も散見されるが、私には今さら個人に謝罪を要求するつもりも制裁を加えるつもりもない。また、こうした違法行為は氷山の一角であり、業界全体で改善に努めていただければ幸いである。(長年の病理がすぐに解決するとはさらさら思わないが…)
最後に、コロナ禍で24時間子どもと向き合う施設職員の皆さんのご健勝とご多幸を祈念する。